ここまでは、バロックと現代楽器の主な違いはテンションの差にあり、それは楽器の音色の違いに大きな影響をもたらしている、と述べてきました。 また前ページで説明したように、ヴァイオリン構造の変化はテンションの増加を反映しています。すなわち、駒における弦の角度はきつくなり、駒にかかる圧力を支えるためにより頑丈なバスバーが取り付けられるようになったのです。そのようなヴァイオリン本体の変化に伴い、弓もより堅く強いものに改良されました。鍵盤楽器、撥弦楽器、管楽器や打楽器の変化にも同じような傾向が見られます。このような楽器自体の変化に加え、調弦のピッチが上がり、オーケストラの人数が増えるなど、この現象は音楽の世界全体に影響をもたらしていきました。
このページではそれぞれの時代の楽器のテンションの測定結果を掲載します
楽器にかかるテンションの原因は様々ですが、結果的には、駒にかかる重さとなって現れます。私はこれを駒上の圧力と言い、これをキログラム(もしくはKg/df)の単位で表します。下の図の矢印がそれを示しています。
矢印は駒にかかる圧力を示しています。
このテンション(駒上の圧力)とは様々な特徴の組み合わせが原因となっています。
第一に、弦がもたらしているテンション。これは以下の要素によって左右されます。
これらのどちらかを変えれば、弦のテンションは変わってしまいます。
第二に、弦が駒と接触して曲がるときの角度。この角度は以下のものにより左右されます。
これらのどちらかを変えれば、弦の角度は変わってしまいます。
弦のテンションが同じの場合は、角度のきつい方が角度の緩やかなものより駒上の圧力は高くなります。
駒上の高い圧力
駒上の低い圧力
これらの特徴のいずれかを変えてしまうと、楽器の駒上の圧力、もしくはテンションが変わってしまいます。
また、たとえ弦のゲージが高くても、角度が大きければ低いゲージで角度が小さい楽器より圧力が低いこともあり得るのです。
では、駒上の圧力はどのように計るのでしょうか。
まず、駒上の圧力とは、弦を駒から引き離すために必要な力と同等です。ということは、弦を上に引っ張り、弦が駒から浮いた瞬間の力を測定できれば駒上の圧力がわかるのです。わたしは漁師が使うてんぴんでこれを計ります。
てんぴんを使って楽器のKg/dfを計ります。
まず駒上の圧力を計る前に、各時代のヴァイオリンの弦の角度を見てみましょう。 前ページ、 で説明したように、楽器の発展とともにこの角度は鋭くなっていきます。
現代楽器は身の回りに沢山あるので、標準の弦の角度を計るのは簡単です。
弦の角度が157˚の現代楽器
結果は157°
この角度は一般的に五十年以上前から使われていて、国際的にも多くの楽器製作者や楽器作りの工場や学校などで活用されてきました。
昔はどんなことにおいても基準となるルールはありませんでした。例えば、バロック時代の調弦のピッチは415Hzと今は理解されていますが、この数字はおおよその中間値でしかありません。実際には17世紀と18世紀においての調弦のピッチには多様性があります。ある地域または時期では、415Hzよりも格段に低い390Hzあたりが使われていたこともあったそうです。
当時はヴァイオリン制作においてもユニバーサルな基準はありませんでした。それは弦の角度についても言えることでしょう。バロック楽器の弦の角度は現代楽器のより一般的に緩やかであったことは事実ですが、その角度には幅がありました。ですから、私がバロック楽器に用いる弦の角度は絶対的な基準ではなく、その時代の様々な弦の角度のおおよその中間値なのです。0.5˚程度の誤差は許容範囲内です。
前ページに書かれている方法でヴァイオリンを作ってきた経験の末、私は159˚-159.5˚の角度をバロック・ヴァイオリンに使うようになりました。
弦の角度は159.5˚(拙作のバロック・ヴィオリン)
四つの弦の角度を計ってみると、それぞれ角度が違うことに気がつきます。これは駒とテールピースの形が均等に作られていないためです。特にE弦は他の弦より角度が緩やかです。
ファインチューナーを使う現代楽器では、さらにその傾向が強まります。したがって私はAとDの弦で角度を計り、中でもA弦の角度は他の弦の角度の平均に一番近いと私は思います。
ではまず弦の角度が157°で、弦長が328mm、調弦ピッチが440Hzのごく一般的な現代ヴィオリンの駒上の圧力を計ってみます。以下が何種類かの弦を使った場合の測定結果です
以下はゲージがミッテルのドイツ製のヴァイオリンを計った結果です
1. e | スチール弦 | 3.00 Kg/df |
2. a | シンセチック・コンポジット・コア/アルミ巻き | 2.15 Kg/df |
3. d | シンセチック・コンポジット・コア/アルミ巻き | 1.95 Kg/df |
4. g | シンセチック・コンポジット・コア/シルバー巻き | 1.85 Kg/df |
以下のリストはゲージがミッテルのフランス製のヴァイオリンを計った結果です
1. e | スチール弦 | 3.00 Kg/df |
2. a | アルミ巻きシンセチック・コア | 2.10 Kg/df |
3. d | アルミ巻きシンセチック・コア | 2.10 Kg/df |
4. g | シルバー巻きシンセチック・コア | 2.15 Kg/df |
最後に、ここ十年間で最も人気のあるオーストリア製の弦を見てみましょう。E弦は使わなかったので下には標示してありません。全ての弦にミッテル・ゲージを使っています。
2. a | ペルロン・コア/アルミ巻き | 2.20 Kg/df |
3. d | ペルロン・コア/アルミ巻き | 1.75 Kg/df |
4. g | ペルロン・コア/シルバー巻き | 1.80 Kg/df |
この実験はバロック・ヴァイオリンにふさわしいテンションを見つけるのが目的ですので、つい50年前に使われるようになったスチールやシンセチック弦などは使いません。(E弦には1920年代からスチール弦が使われていました)。
ではガット弦を使った現代ヴァイオリンはどうなるのでしょうか。
まず1950年のヴァイオリンを見てみましょう。当時はまだガット弦が一般的に使われていて、GとD弦はシルバー巻き、A弦は何も巻かれていないプレーンガットが使われていました。また、スチール弦を好まず、ガットをE弦に使う人もいました。
1950年代の楽器で実験することは、17世紀と18世紀の楽器や弦で実験するより有利な点がいくつかあります。それは、まず弦の角度、調弦のピッチ、そして最も重要なミッテル・ゲージの弦の太さなどがわかっていることです。弦の角度は当時すでに157˚が使われていて、調弦のピッチには440Hz. が使われていました。さらに、1950年から現在にかけて変わらずに同じ弦を作り続けている会社がいくつかあるのです。
以下がドイツ製のミッテル・ゲージの弦を使った結果です。
1. e | プレーンガット | 2.55 Kg/df |
2. a | プレーンガット | 1.93 Kg/df |
アルミ巻きガット・コア | 1.97 Kg/df | |
3. d | アルミ巻きガット・コア | 1.42 Kg/df |
4. g | シルバー巻きガット・コア | 1.48 Kg/df |
私は時々あるアメリカ製の弦を使うことがあります。この弦を作っている会社は1950年から60年にかけて作っていた弦を現在でも変わらずに作り続けています。この会社は当時は他の会社よりテンションが高い弦を作ることで知られていました。それは現代的なアメリカと、時代遅れのヨーロッパの象徴だったのかもしれません。以下がミッテル・ゲージのその弦を使って計った測定結果です。
1. e | スチール弦(すでにガットは入手不可能でした) | 2.90 Kg/df |
2. a | アルミ巻きガット・コア | 2.10 Kg/df |
3. d | シルバー巻きガット・コア | 2.05 Kg/df |
4. g | シルバー巻きガット・コア | 1.68 Kg/df |
最後に私が作っているバロック・ヴァイオリンのテンションを見てみましょう。
前ページ に書かれている方法でヴァイオリンを作り、その弦の角度を計ってみると159°ありました。現在バロック調弦ピッチとされている415Hzで、以下のガット弦を使い実験をしてみました。
1. e | ハイツイスト・ガット弦 0,58mm | 1.87 Kg/df |
2. a | ハイツイスト・ガット弦 0,74mm | 1.58 Kg/df |
3. d | キャットライン・ロープ式・ガット弦 1,06mm | 1.48 Kg/df |
4. g | シルバー巻ガット・コア | 1.27 Kg/df |
ここまでの測定結果を見ると、バロックから現代にかけてヴァイオリンのテンションが増加していることがわかります。なお、この実験で使った弦よりさらに張力とゲージの高いものを使う人たちも今は多くいますし、またあるオーケストラでは442Hzや445Hzが調弦ピッチの基準となって使われています。これらの楽器はテンションが今もなお増加し続けていることを反映していて、私はこのような楽器を「2000年以降のヴァイオリン」と呼んでいます。
このような、テンションが高くなる傾向はヴァイオリンの弓や楽器の構造、他のすべての楽器の進化の中にも見られます。
残念なことに、この現象は弦のメーカーだけでなく、古楽器の制作業界にも見られるのです。
私のバロック・ヴァイオリンでの駒上の圧力は15-20年ほど前は一般的に使われていたものですが、今では低すぎるほどです。
17〜18世紀の間には、すべての物に於いて、現代ほど多くの標準がなかったということはわかります。
すべての時代、すべての国や文化に於いても常に、より高いテンションが好きな人もいれば、低めのテンションを好む人もいたということもわかります。
このように古楽器に於いても、時代の影響を受けて変化する圧力の数値を特定する事はできません。しかし、様々な条件を考慮した上で、全体像に明らかに当てはまらないものを見分ける事は出来ます
「テンション」は一定のペースで増加してきたわけではありません。ヴァイオリンの歴史を見ると、その変化が早い時もあれば、何年も安定していた時もあります。すなわち、毎年1%ずつテンションが増加し続け、来年は今年より1%テンションが増える、などと言う事はあり得ないのです。しかしより長い期間、例えば50年や100年、というスパンで観察をして見ると確かに、テンションは絶えず増加している事が分かります。
言い換えれば、1720年のヴァイオリンは、1950年のヴァイオリン、1970〜2000年のヴァイオリンよりは低いテンションではあるはずです。
しかしここ数年間に私は、1950年代のヴァイオリンよりもさらにテンションの高いバロック・ヴァイオリンを見て来ました。中には1970-2000年代のヴァイオリンのA,D,G弦よりも高いテンションのもありました!これはネックの角度が主な原因ではなく、現代のゲージの高い弦を使っていることが原因です。
実際、これは私がしばしば遭遇した「歴史は繰り返す」という現象です。なぜこんなことが起こっているのか、という事が私を戸惑わせ続けています。私にはこれは単に、私達人間の持つ本能の一部だと思えるのです(多分、個々のレベルではそうでなくても、集団となった時においては確実に)。いかなる所でも、一旦ある程度の人々が集まると平均は上がっていき、発展があります。より大きく、より速く、より強く、より高く、、、さらに。
これは、ヴァイオリン製作者である私にでさえ、経済的な影響も持っています。私が同じ品質で異なるテンション(例えば 8.6 のもの と 9.4 のもの)の二つの楽器を見せた時、常にテンションの高い方が先に売れます(実際の経験から言っています)!
確かに、物事が発達し続けていくのは自然な流れです。オーケストラがどんどん大きくなっていき、ピアノがより重く強くなっていき、ヴァイオリン弓がさらに堅く重く作られる。。。
現代の楽器や弓、弦、音楽その他の全てにおいて起こっているこの展開については、私は問題視していません。常に共感しているのではないにしても、私はこれを自然現象、人間性の一部だと見なしているからです。
しかし、時代楽器を手がけている場合には、これは陥りたくない落とし穴です。現在作られている時代楽器においても常にテンションが上がり続けているといようなパラレルな進化はあってはならないと、私は信じています。
(私も人間なので、近頃は、いつかエレキのバロックヴァイオリンでも作ろうかという気になってきました。。。)